自己顕示欲の開放治療所

erg, programming and something.

別名:Laughing and Grief 雑記

Latin and Greekは習ったこともない

真面目な記事の他、特定の方には不快と思われる事柄に関して言及を行うことがあります。ちょっと頑張りますが、Blog内で解決できなかった場合要望があれば別ページに技術記事は書き直します

薄荷ばあやと「義務教育の頃近所に住んでいた大学生のお姉さん」と「年下の姉」「年下のママ」と「年上の妹」

Preface

薄荷少女5巻が知らないうちに出ていたので読んだ。アフィリエイト付きリンクを張っておきます。また、本記事ではセクシャリティの話題が登場しますが、創作上での話、更にステレオタイプを ベースとしたものであることを強調させてください。ところどころ断定口調もありますが、もちろんそんなことはない。

5巻、あるいは物語的な意味での感想としては「幸せなバッドエンド」或いは「ノーマルネバーエンド」かなというのが私の感じたことである*1

Intro

薄荷少女を初めて読んだのは後輩の持ってきた永遠娘*2の巻末についてきた番外編だ。マコちゃん絵日記ではないが、 「いや、趣旨はそう外れてないけどここに載せて(作者は)いいの?」みたいな感想が先ず出てきた。 その頃にはIKKIサンデーGXといった漫画雑誌を読まなくなっていたから、そういう層に対するこういった新しい導線としては実はアリなのかもしれない。 まず滅茶苦茶柔らかいタッチの絵と、人物の空気に驚いた。永遠娘は「○リババア専門誌」というニッチジャンルだけあってタッチも主流とはちょっとズレたものも多い。 彼らの描くヒロインたちの多くは「美少女」ではなく「可愛い女の子」なのだ。突然殴りこんできた一般漫画で見事にその雑誌の空気に(ピンク的なものは含まずに)馴染んでいたのだ。

「○リババア」は表現上アレなので以後は「のじゃ○リ」と便宜的に称する。「のじゃ○リ」自体は古風?(「〜のじゃ」)な話し方をする幼い少女くらいしか含意せず、 キャラクターとしては多く「えらぶっているが寂しがり、耳年増、おばあちゃんっ娘、○リババア」のように登場するが本記事では便宜的表現であるので注意されたい。

「のじゃ○リ」の属性とギャップ萌え

のじゃ○リはその外見と過ごしてきた年月による老成した人生観のギャップを端的に表すが、その表れ方は当然作品によって異なる。

  • 実際の年齢に比べて外見相応の挙動をするギャップ
  • 実際の外見に比べて年齢相応の挙動をするギャップ
  • 外見に引き摺られて年齢に相応しくない感情を抱く

あたりが箇条書き的な特徴となるだろうか。これに類する属性に「年下の姉」「年下のママ」といったものがあると私は考えている。 「異様に若い母」と「年下のママ」については、母は「母らしくない挙動」をし、ママは「どこか背伸びした挙動」もしくは「異様な包容力」といったものであり、母については「女性性と母性」についての話題であると考えるので 除外する。なお、「年上の妹」については「恐らく存在しない」と考えているということを補足しておく*3。しっかり者の妹は別に年上の妹ではなく、年齢が実際に上の関係上の妹はただの女性かもしれない。

これらの関係は「年齢から予想される振舞い」「関係性から予想される振舞い」という前提があって効果的に機能する。 例えば100歳のキャラクターがいたとして、「100歳なのにあんなことをするのか」「100歳だから色々あったんだろうな」といったことだ。

薄荷少女においても、謎の薬で体が縮んでしまったがバットでは殴られない導入でのじゃ○リが誕生するところから物語は始まる。が、この方向からだけでは料理の感想に「うまい!」と言っているだけのようなもので、拙いなりにもう少しだけ掘り下げる。

「子供の頃の近所に住んでいた大学生くらいの異性」絶対的な距離の固定

友人曰く「おねショタの定義から証明を行っている」、「ペンギン・ハイウェイ」を観ましたか? 結末含め10000000000000000000000000000000点なので観てください。 さて、皆さんの子供の頃、近所にはミステリアスな大学生はいただろうか。私はいなかった。しかし、「子供の頃の近所に住んでいた大学生くらいの異性」と言われてどういったものか想像ができない人間は いないだろう。「〽子供のころの夢は 色褪せない落書きで」と歌う名曲*4もあるが、自我を形作る原風景として、義務教育*5時代の経験は重要である、はずである。 その年頃の子供にとって、一番心理的距離の遠い関係性は、実は大学生ではないだろうか。勉強を続けて、高校生になる未来は見えても、更に続けて大学生にというのは高校2年生くらいまでは遠い距離の人間はそこそこ多いのでは ないだろうか。そこから一足飛んで「社会人」というのは家族や通学路までの道、自由時間から逆に想像が容易くなる。「なにをしているのかわからない、すごいかもしれないひと」という目と、「かつてあったはずの、その頃何を考えていたか分からなくなってしまったくらいの子」の目が交差する。 大学生の多くは恐らく4年で、義務教育卒業までの期間より短い。1人暮らしの大学生は大学生でなくなると住居を変えることが多く、その辺りが関係の終焉となる。 10年後などに再会するとき、かつての大学生からは神秘が剥がれ、またあの頃の未知の前に立つ子供もいない。初恋に似た憧れは夢の中、思い出せない場所へと姿を隠しそれを侵すことを許さない。

ここでの関係性で重要なことは、ある程度の距離と越えられない溝である。子供の行動に大学生は距離を以て接し、大学生の思考は未だ子供の及ぶところに無い。これは世界の境界線の話かもしれない。 原風景に固定化されるこの距離と溝は子供の心に傷となって残る。

言うまでもなく老人と子供にはこれよりも長大な距離と溝がある。しかし、普段は長大な距離故に溝が問題になることは無い。

薄荷ばあやと薄荷少女

本題に戻り、薄荷少女では、子供の頃自分の世話をしてくれていたばあやが童女になってしまうことでこの距離が縮んでしまうのだ。縮みすぎて相手が童女になっているが。 特別掲載誌の主題とするところはのじゃ○リであるが、永遠娘の通常の作品は(誌の性質上)性的な交流を持つ。永遠娘でなくとも一般を含む多くののじゃ○リ作品では溝は一時的にせよ越えられるものとして描かれる。 作品を通し描かれるのは縮みすぎた距離に戸惑う坊っちゃんの姿であるが、彼は5巻を通し遂に溝を越えることはなかった。

上の表現であると誤解を招いたかもしれないが、薄荷が常に老人の感性を以て接するわけではない。何せこの作品は「薄荷少女」であるのだし。 坊ちゃんは目の前の少女に対し、子供の頃滿ちていたばあやの薄荷の香りを嗅ぐのだ。そして薄荷も少女であるから、ばあやであるから二人の関係性は坊ちゃんとばあやなのだ。

坊ちゃん

「坊ちゃん」自体は一般的な表現であるが、主人公が教職を持って、ばあやがいて、となると夏目漱石の「坊ちゃん」が有名どころだ。漱石の「坊ちゃん」に登場するきよは物語前半で退場し、 その後彼を坊ちゃんと呼ぶ者はまあいなくなる*6が、 薄荷少女ではばあやは奇跡の薬で坊ちゃんの元へ馳せ参じる。どちらの主人公も基本的に女っ気が無いが、これは果たして。自分よりも自分に期待してくれて、身の回りのことを嬉しそうにこなしてくれる 存在は呪縛に近しいのでさもありなんといった風ではあるが。

Outro

考えていたら苦しくなってきたのでこの辺で終了。薄荷少女を読もう。5巻の物理本って世界がどうなったら出るんだろう。

TVアニメ「うたわれるもの」OP主題歌 夢想歌

TVアニメ「うたわれるもの」OP主題歌 夢想歌

*1:オタクはすぐADVのマルチエンディングで喩える……。

*2:18歳未満もしくは性的表現に嫌悪感を持つ方は調べないように

*3:未来のミライ」を観てこの感想を述べたら友人にネタバレするなと怒られた。

*4:キン!キン!

*5:高校も行く人間が多い地域であれば高校まで含む

*6:記憶が多少曖昧だが、垂れ流し記事なので調べ直さない。まあきよと同じニュアンスで使う人はいなかったはず。

Sphinxでナウいjsbook使うと章題ページだけページ番号がヘッダにいく

結論

gist.github.com

preface

最近、フューチャーアーキテクト、というか多分ほぼ渋川さんから素晴らしいドキュメントが公開されました。

future-architect.github.io

これでTypeScriptにちゃんと入門しようと思って、Kidle Oasis にPDF入れて読んでいたんですが、目次タイトルや章題ページだけ、なんかページ番号の位置が違うしフォントも違う?

原因

SphinxでreStructuredTextから生成されているので、原因特定が比較的容易でした。ちゃんと触ってたの4、5年前だけど。

章題ページだけヘッダを取るくらいならデザインかな、という感じだけどページ番号の位置は大抵は揃えてなんぼなのでSphinxというかLaTeXのどっかでpagestyleが上書きされているのかな、と あたりをつけて調べることに。 sphinxmanual は現在のデフォではjsbookをロードして拡張してるっぽいので、jsbookの chapter を見ると、\plainifnotempty なるものが呼ばれてるので、まあコレだろうということで、 どうにかする方法を考えます。jsclassesも最近使ってなかったし、使ってたときは中身読んでなかったのでこういう不都合がでたのは最近かもしれないし以前からかもしれません。

修正

chapter を再定義するのが正しい気もしますが、Sphinxのベースで将来的に弄ったらそれを更に〜というのはグチャグチャになっていきそうなので、お行儀悪く \plainnotempty で定義されるページスタイルを 書き換えてみます。一応、fancyhdrがあって、chapterがあってという状態で、\plainifnotemptyが存在する場合のみ再定義するようにしたので他のクラスで使ってもパッケージのロード時間が僅かに増える程度で害はないかと思います。

chapterfoot ページスタイルを新たに用意しているのは、\thispagestyle{normal} だとヘッダも他のページと同じになってしまうのでどちらの動作が正しいか判断がつかなかったため。

使い方

Gistの方にも書きましたが。

コピーして、conf.pyの latex_additional_files でビルド時コピーできる場所に置いて設定し、

latex_elements = { 'preamble': '''
\\usepackage{sphinx-jsbook-mod}
'''}

としましょう。

コンテナでopam入れようとして失敗するときの対処

手元のUbuntuのバージョンが18.04でglibcのバージョンが2.27でSATySFi0.0.3がduneのインストールでコケるなど、 よくある事態がありますが、皆さんLXDユーザなので

「LXCのコンテナにUbuntu19.04入れたろ」

という対処を思いつくのではないでしょうか。

で、いざやろうとするとopamのソースコードからのインストールで躓いたりするわけです*1opam init 時にsandbox環境をつくって色々やろうとするときに /dev/pts がマウントできひんみたいなとこで詰まるわけですが、対処法opamのFAQに載ってるやん。 つまりこのブログ記事の必要はなし。

opam.ocaml.org

「unprivilegedなコンテナなど初回のinitのときに --diable-sandboxing つけて」 ってありますね。ハイ、解決〜。

コンテナじゃなく18.04で普通に入れたい場合でもこれでいいらしい。 qiita.com

*1:19.04ならaptで入るバージョンでも大丈夫かも

開発用備忘録[WIP]

開発用備忘録

今のモチベ

成果をジェネレイトしたい。期間的にもそれ以外の要素でも 作りたいものはフルスクラッチで書かずライブラリや他人のコードを参考にしたい。ライセンス管理ががが。

licensed

matsnow.hatenablog.com

ええのあるやん。

github.com

GitHub製のライセンスチェッカ。Ruby製かー。……メイン環境に入れないで利用できるようにできないかな。dockerディレクトリは……rubycのためですか。プロジェクトのURLをlicensedが動いてるサーバに投げたら結果が返ってくるみたいな運用したい。

本当に欲しかったもの(ポエム)

ライセンスの兼ね合い(これを使ってるからこのプロジェクトのライセンスはここから選んで、みたいな)や作るライセンスでの記載文の自動化がしたいんですよね。 やっていくしかないが、Rubyへの苦手意識をどうにかしなければ。

VPN関連備忘録[WIP]

VPN関連備忘録だったりネタメモさったり

これまでのラボライブ!

卒論が終わると卒論が進む! 不思議!

「WebRTCのDataChannelでワチャワチャやる」程度の内容で書くんだと思っていたら、 ほとんど書けない言語からバグバグ常態のEmscriptenでwasmコンパイルしてほとんど書けない言語のインタプリタ作ることになって爆発したのは何年前だったっけ……

別の学生が次の年にやって普通にやりきっていったのを眺めているうちに何もかもに置いていかれたのんな……。 wasmも、WebRTCも、HTTP/3も……。

DataChannel ではバイト列が送れるので何でも送れる*1。何でも送ろうということで ボスはプログラムをRPCで送りたがり、私はVPNを作りたがった。 古、VPNUDPでやってきたりした訳だし

「やりたい」と私が酒の席で言うと、ボスは

「WebRTCの必要ないよね」

と言った。誰だってそーいう。おれだってそーいう。まあモチベを伝えていなかったのが悪くて、WebRTCシグナリングサーバ使うじゃん、 これ便乗できたら専用シグナリングサーバ立てなくてもランデブーポイントにしてグローバルIPVPNサーバ要らんやん、とくだを巻く私。

「本番通信もWebRTCでやらなくてもいいよね(意訳)。IPv6普及すればローカルとかグローバルも……」

あっハイ。

眠いのでとりあえず走り書き。 あるいは技術書展6用ネタにするか……?

微妙に卒業研究に関わったやつ

https://www.researchgate.net/publication/261266327_Social_VPNs_Integrating_Overlay_and_Social_Networks_for_Seamless_P2P_Networking

あと、Social SoftEther VPN。まあ、OSNを使って友人間でのVPNの接続をやりやすくしようぜって研究ですね。いや、この説明はFAKEですが。

今回のゼミで教えてもらったやつ

Tinc VPN

www.tinc-vpn.org

www.itmedia.co.jp

事前にVPN-IPを設定、共有しておく必要があるものの、簡単に2者間でVPNが構築できます。増えてもいいけど。

ZeroTier

www.zerotier.com

ここでのサーバはランデブーポイントの意味合いが強い気がします。オープンソースでクライアント、サーバがありますがZeroTier社がサーバを提供しているので サーバを立てなくても使える、と。 zerotierのサーバに乗っかる場合同じネットワーク100台までは無料。 オープンソース版引っぱってきて自分で鯖立てれば制限無し。 100台超えるなら管理考えると商用プラン検討すべきだと思いますが。

見つけたやつ

LCVPN(Light decentralized VPN)

github.com

……"C" は? アスキー文字圏特有の言葉遊びとかあるんでしょうか。

Decentralized VPN in golang.

キュンキュンする単語だけで構成された美しい説明ですね。更新止まり期間が長いですがシンプルで読みやすい。

meshbird

github.com

こっちもGolang製ですね。片側でキー作成してあとは同じキーがあれば接続が可能、と。

私、気になります!

asnokaze.hatenablog.com

tools.ietf.org

皆(デカ主語)QUICでVPNやりたいんだよな。

https://github.com/meshbird

LCVPNとか参考に、QUICでVPN先行導入したブツとか3年計画(足りなそうだけど、その頃には皆やっているから私がやらなくてもよさそう)くらいで やっていく。かも。でもシグナリングはどうにかして普及プロダクトに乗っかりたいんだよな。眠い。

*1:何でもは多分嘘です。でもファイル共有サービスなどは既にある。

WORDとLaTeXと私

ひだるまです。

2.5mmバランス端子-RCAケーブルをどう思いますか? 使っているスピーカーのレベル的に、バランスで出したとしてどこまで出るか微妙なところですよねぇ……。

さて、この記事はWORDIAN Advent Calendar 2018 - Adventarの8日目の記事になります。それではそろそろ表題の話へ移りましょう。

興が乗りましたら本誌の方にも載せたいので、記憶違いの指摘や名前を伏せて欲しいなどの連絡があればお願いします。

歴史

TeXKnuthが~といった話や、WORD編集部の創立は筑波が陸の孤島だった頃~といった話は別資料をお探しください。そろそろ編集部の歴史本は必要な気もしますが。

導入

情報科学類学生がいつからLaTeXを使っているかは定かではありませんし、編集部員の利用度なども正しいところは分かりかねますが、 私の入学した時分では編集部の記事はほぼJustSystems社の「一太郎*1」を用いて書かれていました。一太郎MS-Wordと同じような感覚で執筆する、WYSIWYGなエディタです。私は小学校の授業で触って以来でした。 編集部ではタイトル部や執筆者欄、見出しや導入を適当に埋めたものをテンプレートと称し、「名前をつけて保存」で新しい記事を作成しておりました*2。 これらを使った経験のある方なら分かるかと思いますが、MS-Word一太郎はコードを載せる記事や、統一された見た目の印刷物を作りたいときに難点が幾つかあります。 どちらが良いのかはおいておいて、更にはプロプライエタリであるエディタを使わなければならない状況に不満のある編集部員がいました。

突然の

主観の上、少々記憶が曖昧になってきましたが、1年以上経った頃だったと思います。 編集部にも慣れてきたある日、yyuさんとpi8027さんが「作ったんで、使いたい人は使ってください」と作成したLaTeXのテンプレートを編集部で皆に紹介しました*3。 そのときの私の頭の中では「???」と疑問符が踊っていました。 「なぜ一太郎で書きたくないのだろう」と。 とりあえずテンプレートのソースとクラスファイルの説明(idxとinsから生成したPDF)に目を通してみたときの感想は

「わーむずかしそーなことがかいてあるー」

でした。

そんな私を他所に、じわじわとLaTeXで記事を書く人間は増えていきました。まあ毎号いても3、4人程度ですが。 コードを書く皆は分かっていたのです、「一太郎でコード載せるのは面倒臭い」ということが。

誕生! 一太郎大臣

部内で勢力を拡大していったLaTeXですが、人数が増えると声が大きくなるので、次第にこんな声が上がるようになりました。

一太郎の記事と見た目が違って、冊子にしたときまとまりがなくて美しくない」

LaTeXで書かれた記事は同じテンプレート基クラスファイルを使って処理されているので、別の人が書いたものでも見た目の統一がある程度されていました。 そうなると、テンプレート基以前の履歴を使って書かれたにWYSIWYG一太郎による記事は同じ人が書いたものですら見た目がバラバラでしたから、 これは粛清の対象です。日々増大を続けるLaTeX派に一太郎派は自己を総括する必要に迫られたのです。

LaTeXテンプレートを齎した2人はLaTeX大臣としてテンプレートの改修や組版の相談などを受けるようになっていました。

特に記事のネタを思いつくでもなく居心地の悪さを覚え始めていた私は、 ある日haroperiさんが「一太郎に詳しい人欲しいよねぇ」と言ったとき飛びつきました。立ち位置が欲しかったんですね。 これはアドバイスですが、アイデンティティは自分の持っているものから確立すべきです。 一太郎は貴方の知らないものが溢れていて、例えば今は亡きJustsystems製のメーラーと連携するマクロが存在する。 マクロと言いつつほぼ言語に必要なものが揃っているので、多分マンデルブロ集合とか書ける*4。 そうして、俺達は登り始めたんだ。この長い、一太郎坂をよ……(第一部完)。

にわか一太郎の大先生には意図せずともコーナーケースを突き続ける編集部員の相手はなかなかに荷が重く、 ,無季さんに

一太郎でこれはどうやるの」

と問われても

「俺にだって、分からないことぐらい、ある……!」

としか返せないこともありました。それでもめげずに学習を続け、とりあえず暫定テンプレートになっているものを書式設定として登録したり、文字サイズなどの調整を行ってくれるマクロを 編集部の計算機に追加してみたりと少しずつ自身を深めていきました。 まあ、皆そんなものは使わず、相変わらず以前書いた記事ファイルを開き直して「名前をつけて保存」で記事を作成していましたが。

結局、誰かが書いた記事を一発で用意した書式に直してくれるマクロを書くことになりました。これも、良い経験でした*5

そうそう、このちょっと前くらいの時期にWORDの発行に使うリソグラフがPDFを読みこめることが発覚し、データによる入稿が基本になりました。その前? 通常のプリンタで印刷したものを マスターと呼び、それら数十枚を抱えてリソグラフに1枚1枚スキャンして……。

折衝

一太郎側の書式設定がある程度落ち着いたところで、それがそのままLaTeX側と調和を生み出す訳ではありません。 かつて編集部のLaTeXテンプレートは一太郎の書式設定を参考に作られましたが、一太郎側が譲歩をする段階に来ていたのです。 組版の設定は何を基準とするかでも変わってきます。文字数の設定から文字サイズが決まったり、逆に文字サイズから1行あたりの文字数が 設定されたり。そんな訳で、主に一太郎の書式設定をLaTeXの設定に寄せました。余白や文字数、文字サイズを明文化し部内のwikiに残しました。 双方が妥協しつつも、ここにある程度書式統一されたWORDが誕生したのです。

それから数ヶ月後

そこにはLaTeXをいじる私の姿が!! ……いやだって使い易いし。

ビルドサーバ

少し触れましたが、改善されたもののLaTeXのビルド環境を整えるのは初心者には厄介なポイントが幾つかあり、環境構築の手間もないに越したことはないのです。そうすると、 ビルドサーバの概念が誕生します。

コンテンツを作成するときフォントのライセンスは厄介で、勝手に引っこ抜いて使うというのは大概アウトです。幸か不幸か一太郎2012承にヒラギノフォントがついてきたために、 この前後のWORDはヒラギノフォントを使うことで統一されていました。大学の計算機室にもMacがあったために、ヒラギノフォントを使うことへのハードルが低い状態だったのです。

ヒラギノがある計算機をそのままビルドサーバにしてしまおうという考えが生まれるまで時間はかかりませんでした。無論大学共用の計算機ではなく編集部で用意した計算機です。

記事を書いた後 make を叩けばPDFが出てくる、そんな素朴なLaTeXテンプレートが生まれました。

LuaLaTeX

それまで編集部で使われてきたのはpLaTeXでした。TeXの統合パッケージであるTeXLiveもこの頃には大分落ち着いてきて扱い易くなってきてはいましたが、pLaTeXではフォントの設定などが多少ややこしいところがあります。職人による丁寧な指導の元、個人の計算機にLaTeX環境がインストールされていく、そんな様相を呈していました。そんな折、編集部のLua派が台頭しました。そう、LuaLaTeXの登場です。 WORDのLaTeXテンプレートの元となったarticleクラスは古代から存在しているものでしたので、モダンなLuaLaTeXでは使えませんでした。でも使いたい。LuaLaTeXテンプレート(クラスファイル)が作られる運びとなりました。もっとも、この時点ではLuaLaTeX自体が安定していない状況だったことと、ビルドシステムでのpLaTeXとの切り替えが多少手間だったことも ありあまり部内には普及しませんでした。多分2人くらいが使っていました。

俺はその先にいるからよ

大学というのは普通4年も在学していれば卒業し社会へ出ていくことになります。やめろ、そんな目で俺を見るな。 編集部の人間も移ろいいきます。LaTeX大臣の任期も現役を過ぎたらあまり強要はできません。

編集部内で組版に関わっている人間には野望がありました。そう、

「ソースレベルで結合してまとめてPDFに出したい」

という欲求です。この頃には一太郎派はかなり減り、LaTeXで「それぞれが」コンパイルしたPDFをまとめ、ページ番号を振り直し、印刷用のデータとしていました。 この部分の自動化を果たせば主に編集長がしてきた作業が減り、皆ハッピーになるはずなのです。2018年12月現在も未だ果たされてはいませんが、準備はちょこちょこ進めています。 数十年後には記事原稿もAIに書いてほしいし、排泄、睡眠、食事、種族保全ディープラーニングってやつで自動化してほしい。

その前段階として、テンプレートが複数ある状態はあまりよろしくありませんでした。 ビルドシステムでの分岐処理が複雑になること、レイアウトやその他の更新が複数回の手間になるからです。 編集部でのLaTeX作業の多くを担ってきたyyuさんが卒業するということで、テンプレートの大改修をやるならやらんとという空気もありました。 実際は卒業後に作業が活発化するのですが、まあ空気があったということで。

独自クラスファイルの更新はより切実な問題でした。専門的にクラスファイルレベルでいじれる人間がいなくなるというのは致命的です。

そんな中白羽の矢が立ったのはbxjsclassesでした。これはjsclassesでできることをpLaTeX、LuaLaTeX、XeLaTeXで共通のソースからコンパイルできるというクラスファイル群です。 このクラスファイルをロードし、WORD用の設定を加えたものを新テンプレートとするといい感じになるんじゃないだろうか。 した 。 新テンプレートではビルドシステムのpLaTeX/LuaLaTeX切り替えもmakeの引数をいじる程度で済み、更新はこのクラスファイルだけ、草木は萌え、小鳥は歌い、王国は千年の平和に包まれます。

窓に、窓に!

文章はここで途切れています。より詳細な内容やこれより後について読みたい方は「わっふるわっふる」と

*1:「フォントを買うとMacがついてくる」というジョークがありますが、プレミアム版の一太郎にも有名書体がついてきます。

*2:これ以前だとMS-Wordの盛り上がっていた時代、温かみのある手書き主流時代などに過去資料から遡れました。

*3:このテンプレートはarticleクラスを一部改変したものでした

*4:講義の課題として、何の言語でも良いから「マンデルブロ集合をかけ」というものが存在しました。

*5:学園の門の前でピースをしながら

続・明治教科書明朝購入とLuaLaTeX用セットアップ

お前のフォントはそれでいいのか

文章の本文は何で書きますか? 明朝ですかゴシックですか? 本文では明朝という方が多いのではないでしょうか。体感としては、長文ではゴシック体はここぞというときに使わないと見辛い気がします。 さて、明朝体とおおまかに言ってもその特徴は様々ですし、使い所によっても選ぶフォントは変わってきます。技術書では読み易い、誤認識しないものが重要であるとかそういう話です。

大概の文書は文字によってほとんどが構成されます。読者には、文書の内容の他にそれを受けとるインターフェースである文字も印象づけられます。厳めしい書体であれば固そうですし、 やわらかな書体であればポップとかキュートといった印象を持つでしょう。文字は言葉を伝える手段であると同時に、それ自体の持つメタ*1的な要素があります。

「馴染んでいて極力フォントの存在を意識させない」フォントによって内容で勝負というのもアリですが、思いきったフォントで書くのも同様にアリです。

ライトノベルではお馴染み「リュウミン」や、京極先生他大勢に好まれる「ヒラギノ」などで個人でも書籍が出せるのがDTPの良いところではあります。商業と同じクオリティのものを作ることが可能*2なのですから。しかし、商業出版と同じことをしたいのなら自分で組むよりもその手のノウハウのある出版社さんに協力してもらった方が総コストとしては安いかもしれません。

例えば私はオールドタイプの明朝体が好きです。何を以てオールドなのかなどの話題は不得手なので書き直すと、古めっぽい見た目の雰囲気の明朝体が好きです。大正浪漫が好きなので。 なら、小説をオールドな明朝体で組むしかないじゃない。

続・教科書明朝

しかし、普段慣れている明朝の形ではないので、当然読み辛い。旧字体で構成された文書を現代字と同じスピードで読み進められる人は、そうでない人より少ないのではと思います。 Oradano明朝の雰囲気は好きなのですが、本文でいきなり使うには正直ハードルが作者、読者双方に高すぎると感じていました。

そんな或る日、適当にインターネットを漂っていると出会いがありました。

fg-tokyo.com

話は少し逸れますが、教科書体というものがあります。印象としてはゴシックと明朝の間という感じでしょうか。高校くらいまでの教科書を思い出してもらえれば、多分その感じです。 教科書はその内容のせいで「読み辛い」と感じていた方もいるかもしれませんが、フォントとしては相当に読み易いつくりです。Win10の最近のバージョンには「UD教科書体」がバンドルされていますが、 あれもとても良いと思います。

(続・)明治教科書明朝は当然明朝体ですが、教科書に使われていたものを元にしていますから、オールドスタイル明朝としてはかなり読み易いと感じました。意識を失って、気がついたら買っていました。 旧字体も当然ありますが、雰囲気を合わせた現代字も普通に使えるので、「古いっぽい雰囲気の書体で組みたい」という私のニーズに見事合致したのですね。

JustsystemsECサイト「JustmyShop」にて特別価格7000円弱で売っていたので、在庫がなくなる前の購入をオススメします。「明治教科書明朝」の方は複数の販路があるようですが、「続・明治教科書明朝」は ほぼJustmyShopだけになってるのはどうしてでしょうね。

Ubuntu18.04へのインストール

WindowsMacでの方法しか載っていませんが、インストーラ形式ではなくフォントがポンとCD-ROMの中に入っているだけなので考えることはあまりないです。

nautilusなどでCD-ROMを開いて中のフォントをコピーしてフォントを置く場所に置いて((私は/usr/share/fonts/opentype/fgpzokumeijiディレクトリを作り、その中に置きました。))

$ sudo fc-cache -fv
$ sudo luaotfload-tool --update

をかければ終了です。 後は.texファイル中で

(略)
\usepackage{luatexja-fontspec}

\setmainjfont{FGPZokuMeijiKyoukasyoM}

のようにしてビルドすれば良し。pLaTeXの場合は一緒に収録されてえいるttf版を使った方が確実かもしれません。

宣伝

技術書典5 に「い08」にサークル「Virtual Ones」として参加します。間に合えばこれで組んだ小説を持っていきたいなあ。

*1:ここではメタデータのことではないです。

*2:可能、ではあるはず……。